墓地の最上段に建つ。「塔身」と「基礎」の部分が欠け、後から「塔身」1つに置き換えられた様であるが、全体としてはしっかりしている この寺の開山の墓標と思われる。いつ420年忌が行われたか不明だが江戸時代初期前後のものと思われる |
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今は広い茶畑になっているが、元は末高城のあったところ。 末高氏一族の墓といわれるところに2基の宝篋印塔がある。右は分からなかったが左に「元禄七年」の銘が読めた。 初代の末高半左衛門が活躍したのは1570年前後なので、子孫の墓かそれとも半左衛門の供養塔か? 傷みもない1.5M程の立派な宝篋印塔である 半左衛門は1570年前後武田が駿河を支配した当時の武田の家臣で(岡部の岡部正綱の配下)、安倍川中流にいた「安倍七騎」の一人。 元は山賊の頭領とも言われ、ここ村岡村(今の平野)に城を構えた |
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左は右よりやや大きい。そして古さもより古いようだ。また相輪の部分がセメントで補修してあった。 由緒書がないので誰のものかいつ頃のものか全く分からないが、傷み具合からして江戸時代以前のものの様に感じる。 一方右のものはやや新しく姿も綺麗である。 旧東海道が近くを通っているので、この公園を造る時近くにあったものをここに移設したのかも知れない。 いずれにせよ誰のものか全く分からなかったのか?、想像するに参勤交代や旅でこの近くでなくなった相当地位の高い人のものであったに違いない ※私は2006年暮れと2007年1月近くの久延寺と旧東海道を少し歩いたことがある。その時はこの公園があることは全く知らなかった。 今回野鳥観察で近くに訪れた際道を間違ってここにたどり着き宝篋印塔があることに驚いた。 ※これだけ立派な宝篋印塔は移設する際最低誰のものでいつ頃のものか徹底的に調べ上げて由緒に残して欲しいものだ。今からでも遅くはない。 掛川市に善処をお願いしたい。 |
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五輪塔が2基あります(その内の1基) 立派な石柱、東屋そしてNTT中継アンテナ(近くに元市長の開設記念碑があったように思う) |
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ほぼ完です |