手前水源から見た三分一湧水。槽に水流を三等分する三角石柱が見える |
横から見た三分一湧水 |
1,2,3、水源、P、大荒れの碑、観音像、石造の文字加筆しました |
緑豊かな公園になっています。サワグルミ、ケヤキなどが生えています。 |
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「大荒れの碑」とは昭和18年9月5日洪水による山津波が付近一帯を襲い 三分の一湧水も埋まり、その後水元「坂本家」を中心に6カ村が力を合わせて 新しい三分一湧水を造ったとの碑。後ろはその時流されてきた大岩。 「山梨県の歴史散歩」では全く触れられていないが、ここに出てくる水元「坂本家」 (信玄の家臣であったのだろうか?それとも名主の様な家であったのだろうか?)が ここを所有し長い間水の管理をしていたようだ。写真を撮らなかったが、その坂本家 の10数代目の子孫(女性の名でした)が戦後この地を町に寄付し町はここに 三分一湧水公園を造ったとの顕彰碑も立っていました。 |
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起点ともいうべき東屋のある場所です |
自然林に付いた「棒道」。幅1〜2m、緩やかな勾配です。想像したイメージと随分違いました |
この先は幅10mが切り開かれています。ここで折り返しました (参考) 長坂町の観光ガイド(パンフ)に載っている雪景色はこの辺りでしょうか? |
東屋手前角の「棒道」の説明板です |
順路を追って |
番所跡です |
番所から上の道 「棒道」の説明板の角 |
東屋の所の石仏。木の右のものはかなり大きいです |
最初は別荘横のこんな道です |
所々沢が流れています 切り開かれた場所の合流点です |
石仏たち 「棒道」の楽しみは何といっても石仏です。石仏を見ると何故心が安らぐのでしょうか? 何故か女性の顔に見えるのが多かったです |
殆ど左手に先が菱形の斜めの”棒”をもっています。何なのでしょうか? |
2011,6,25撮影 |
ここの駐車場に車を止めさせて貰い歩き始めます 左R484、右ヨドバシカメラの境界の芝生に棒道は付いている テニスコートやゴルフショートコースがあり一般の人も利用できる様だ |
一ツ石 6番ホールにあります(帰りに見ました) この看板はR484の山側にあります |
最初この「鉢巻トレイル」が「棒道」と思いこの細い道を仏供石のところまで歩いてしまいました。R484と棒道の間に付いています。 何故「鉢巻」なのか?R484を「鉢巻道路」とも言うらしい。 鉢巻トレイルと右R484 棒道は左のカラマツの林の中に付いていますが、一見見えません |
夏の名残です 鉢巻トレイルにはお花畑があり所々に群生があります。左ヒヨドリバナ、右ノコンギク?(ヨメナの様なキク科の紫の花) |
クリの鮮やかな紅葉が綺麗でした ここから富士山が遠く微かに見えました 同所から 八ヶ岳最南端 左西岳 右編笠山 11/10撮影 |
同所の木製説明看板(前回見落とし) 11/10撮影 |
仏供石上の棒道とカラマツ林。下にはササが生えています(帰りに通りました) |
仏供石 R484の谷側に看板はありますが、仏供石は50Mほどのカラマツ林の中です |
所々にあります 付近の小公園の落葉したイチョウの黄金の絨毯が美しい |
日帰り温泉「鹿の湯」の建物と手前の「鹿の池」 11/10撮影 棒道はこの先ペンション村の真ん中を通っている様だ 木立に囲まれた落ち着きのあるペンションが多い |
棒道はペンション村から一端R484に出て、またR484の谷側を下ります 上の所から直ぐ下の山側にあります 帰りはR484の舗装道を帰りました |
以下は11/10の写真です 甲六川付近から上はR484の直ぐ脇を通っています 甲六川手前の道標。棒道はR484の高架をくぐる |
この説明看板です ここから(国境)先は一時旧小淵沢町に入り八ヶ岳牧場で旧長坂町に入ります |
旧小淵沢町唯一の「棒道」看板かも(年代物?でしょう)。甲六川脇にあります |
以上2011,11,4撮影 |
駐車場から矢印にそって 原村の「棒道」説明看板はこれ1枚のみ 最後の方で1610年藩主が定書で一端閉鎖したとの記載が気になる |
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美術館駐車場に車を止めさせてもらう 美術館野外ブロンズ展示場 毎年地元の小学生の秀作を1点ずつ加えるそうだ |
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富士見町の「棒道」とはまるで違う 細いしくねるしまるっきり山道だ |
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500M程行くと砂利の車道を突き抜ける |
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その先も相変わらずの細い道だがカラマツ林やアカマツ林が爽やかだ |
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500M程行くと微かに水の流れる沢があり道が途切れる その道を200M上がって引き返す 原村役場の女性の話ではこの先左に行くと「献上場」なるものがあると言っていた |
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結論から言うと原村における棒道はまだ判明している所が少ない様だ。 江戸時代の一時中断の影響か?、命脈を保ったとはいえ中央本線の 開通などですっかり忘れられ荒れてしまったのだろう。 2011,11,10撮影 |
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原村から頂いた資料から | |||
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この地図によれば私が先日八ヶ岳美術館の所から下に歩いたのはどうも「本当の棒道」とは違うようです。 また八ヶ岳美術館から北はR484の谷側を北に通っていたようです。 原村の棒道ははっきりしないようですが、いくつかのポイントはあるようです。それを取り上げてみました。 |
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