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天竜市船明 S62,9,21天竜市指定天然記念物 2本 北 南 目通り 4.6M 5.0M 樹高 29.0M 32.0M 152号道路端にあるのでよく目立つ |
アクセス 152号船明ダム手前右 タムの見学 天竜下りはいかが ダム手前に公園あり 2000,2,21撮影 |
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天竜市両島 野沢さん宅 目通り8.0M 寿高35.0M 樹齢推定800年 熊のタブノキを見に行く途中見つけた 家の人に聞くと1000年位前からあるら しいと言うが、詳しいことは分からない 天然記念物に指定されても良い大き さをそなえている 民家にあるのは珍しい |
アクセス 天竜市街よりくるまで15分 2000,8,17撮影 |
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佐久間町吉沢 根廻り15.0M 樹高30.0M 熊から佐久間町のヒムロを見に行く途中見 つけた 数えると枝は11本あるが、根元は1つで、1 本のスギである 神様のイタズラか 根元は 恐ろしく太い 龍山村に分かれる道沿いにあり、ご先祖様 が道の目印に面白い木を植えたような気が する 大きさから言えば天然記念物に匹敵する アクセス 大地野トンネルから10分 龍山村との分岐、道沿いにある 2000,8,17撮影 |
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本堂 |
本殿 |
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湖西市西鷲津 本興寺 スギ 無指定 2本 目通り 5.0M 樹高 20.0M スギは本堂の階段を上った所の左右に 立っていた。なかなか立派なスギであ るが、落雷によると思われるがどちらも 上部が失われている。 今回はスギの見学よりは、「爺さまの街 角あちこち見て歩き記・時代屋」という ホームページに、茅葺き屋根の国宝 の寺が載っていたので是非見てみたい とやって来た。 1383年創建の法華宗の古刹で、国 の重要文化財の本堂は1552年の建 立である。家康から葵の紋の使用を許 され10万石の格式を与えられたそうで ある。 |
惣門と奥書院は豊橋、吉田城からの移 築−1674年−で、市および県の重要 文化財である。 惣門から本堂まで約100Mある。 アクセス 東名三ケ日インターか国1バイパス利 用。JR鷲津駅近く。 2006,12,27撮影 |
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桜は満開であった |
浜松市中区 浜松城 目通り 3.0M 樹高 15.0M 樹齢 150年 推定 天守閣横に立っている。 植栽ではなく、明治初期くらいに自然に 生えたものが大きくなったのだろう。 満開の桜や天守閣を見る人は多いだろ うが、この木に気付く人は少ないのでは。 もう一つ注目すべきは石垣の積み方で ある。看板によると2代目堀尾氏(彼は 功名が辻では一豊のライバルでありよき 友であった)が1590年頃築造した「野面 積み(のずらづみ)」という工法で造った ものだ。400年経ってもビクともせず当時 の面影を残している。 |
城を見学して感心なことがあった。 先ず駐車場であるが、市庁舎横に行く と警備員がここは満車なのでコンコルド ホテル横のとこを案内してくれた。そこに も2人いて無料で止めてくれた。私の住 んでいる市では桜見学に無料はないと 思う。帰りに下りてくるとゴミ捨ての産業 廃棄物のボックスが用意されている。こ れも私の市ではないだろう。ゴミは自分 で片付けるという考えもあるが。行政とは いかに小さいことにも目を配るということ ではないかと思う。それと市庁舎も地 味だ。ホテルのような造りとは全く違う。 浜松人の考えの一端を見たような気が する。 | 2008,4,3撮影 |
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根元にも沢山の羅漢さんが |
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半僧坊 |
羅漢坂の羅漢さん |
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浜松市北区奥山 方広寺 1977年4月9日旧引佐町指定 現浜松市に引継 目通り 5.8M 樹高 43M 樹齢 500年前後 推定 方広寺の山門をくぐりここに車を止める。 沢筋の道を羅漢像を見ながら15分ほど 登ると大きな建物があり、その下に2本 の大きなスギがある。その大きい方が半 僧杉である。明治14年(1881年)山火 事があり、殆どの伽藍は焼失してしまっ たが、半僧坊と七尊菩薩像それとこの 杉が残ったそうである。以来半僧杉と呼 ばれるようになったそうである。半僧とは 「半僧半俗」のことで、俗世間の煩悩を 引きずっている僧のことらしい。 方広寺は臨済宗方広寺派の総本山で 南朝の後醍醐天皇の8番目の子無文 元選(むもんげんせん)が建徳2年(13 71年)に開山。渋川ツツジを見に行く 途中、大平(おおだいら)という所を通っ たが、大平城跡の由緒に、後醍醐天皇 の子宗良親王が城主の井伊氏の庇護を 受け足利尊氏と戦うも敗北し信濃に落ち のびたと書かれていた。この井伊氏こそ その後徳川家康に付き彦根城主となった 井伊氏の祖先ではないかと思われる。 詳しいことは分からないが、この引佐地 方は南朝の勢力が強かった地方ではな かったかと思われる。中国から帰国した 無文は地頭奥山氏の帰依を受け、元の 天台山方広寺に似たこの地に寺を起こし たという。 アクセス 東名三ヶ日ICからが一番近いだろう 2008,5,18撮影 |
最大のクス |
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クスとムクノキ(手前)の合着樹 |
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浜松市天竜区渡ケ島 諏訪神社 社叢 浜松市指定天然記念物 クス 目通り 7.5M 最大 樹高 35.0M 最大 クスとムクノキとの合着樹 クス 目通り 4.8M 樹高 31.0M ムクノキ 目通り 3.4M 樹高 30.0M |
「人里の巨木たち」というHPを見ていたら 載っていたのでやってきた。入口の右側 にやや斜めに生えているのが最大のクス ノキで立派なものだ。その後ろや社殿の 左にもやや小振りではあるがクスノキが見 える。また左奥にはタブノキもある。更に入 口左手前にはクスとムクノキの合着樹があ る。看板によればこれは極めてて珍しいも のだ。 諏訪神社は武田信玄の勢力がこの地にも 及んでいたのだろう。神社は少し寂れてい るが、社叢はなかなか立派なものだ。 アクセス 鹿島橋の所を天竜川西岸に沿って北上し 平田大橋を渡り右折、神社はその先だ。 2008,5,18撮影 |
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根元には何故かビッシリとひこばえが |
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浜松市北区渋川 六所神社 S43,3,1市指定 目通り 6.7M 樹高 20.0M 樹齢 650年 渋川ツツジを見にゆく途中、偶然信号 機のある交差点で見つけた。道路や 建物を邪魔するのか、下の幹や枝を かなり切られスラッとした姿になってい る。 市の指定看板によれば、この神社は 1361年の建立で、イチョウはその当時 のものだろうと書かれている。明治9年 ここに渋川小学校が造られた際神社は 500M西に移転、更に小学校も現在は 他の場所に移転しており、JAの敷地に なっている。周りをコンクリートで固めら れ行く末が案じられる。 |
アクセス 渋川ツツジ参照 2008,5,18撮影 |
トチノキ(向かって右の1本が折れている) |
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青崩峠 真ん中青崩峠の石碑。その右の階段は熊伏山への登山道。その右の窪みは信州側への下山道 |
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峠の石仏3体 峠は静岡県の指定史跡(10年前の看板も色あせてしまった) 峠下の斜面には細いブナが何本かありました |
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すぐ石畳が始まります 1572年信玄は3万の軍でこの峠を越え、三方原の家康を打ち破った。 ・ 家康は散々の敗北で逃げる途中緊張から糞尿を垂れた逸話は有名だ ・ (その時の自分の姿が自画像にもなっていて家康が一生の戒めとしたそうだ) |
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茶屋の夫婦が盗賊に襲われ、飲食後金を盗って逃げたそうだ 今は跡形もないが昭和の初めまで数軒あったそうだ 左二行「人生流転夢一場・・・」の漢詩 杉林は平坦でこの林の中にあったと想像する 夫婦はその後も店を続けたのでしょうか? ・ |
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木地屋とは昔全国を渡り歩いて木製品を作った人々だそうだ 民話「しっぺい太郎」の物語 祠の中を覗くと犬の石像が
右の建物の中に墓が安置されています。その右にも建物があり面白い顔の 左の立派な木の説明文は色あせて 地蔵様が安置されていました 読みにくい
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名水足神の水 その前の足神神社 三遠南信自動車道との分岐にある「ソルトロード」看板 ポリタンクをももった人が来ていました 1250年頃北条時頼が全国行脚の際脚を患い 10分、5分は間違い?と思う。峠へは車では行けない 地元の人に助けられその後時頼の命でここに 神社が造られたそうだ。御神木(ケヤキ)の横に 木の脚が・・沢山おいてある |
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これも色があせてきています |
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スダジイ クスノキ 右の板は遊歩道の塀 |
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写真を追加 いずれも2014,1,24撮影 | ||
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上部の方に傷みがある |
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本堂 信康廟 塀で覆われ墓は見えなかった |
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入口の説明看板 |
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観音堂 獅子トイレ こんな変わったユニークなデザインのトイレ初めてだ |
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磐田市岩室 獅子ケ谷公園内 岩室廃寺跡 スダジイ1 目通り 4.5M 樹高 25.0M スダジイ2 目通り 4.5M 樹高 25.0M 獅子ケ谷公園に探鳥でやって来た。 初めて来たが小さいながらもミニハイキングコース の様に野趣に富んだ公園で好感が持てた。 丁度駐車場の脇に岩室廃寺跡がありそこに2本の スダジイの巨木が立っていた。 弘法大師が開祖したともいわれ、また由緒書から 遠江国分寺との関係もあったと推測される廃寺で ある。 2015,3,31撮影 アクセス 随所に道標看板案内看板があるので間違うことは ないだろう |