(4)
(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)HOME

万騎峠の大ブナ(群馬県長野原町)
まんきとうげ

大ブナ(根元にウロがあるのが見えますか?)                           ブナ

昔は「江戸出し城米」といって藩から運んだことを初めて知りました。
たとえば江戸と松代間を250qとして馬に引かせた大八車で1日20q進むとして
12日の旅の計算だ。それとも馬の背だけで運んだのだろうか?それならもう少し早いと思うが・・。
参勤交代で江戸詰の人達がその古里の米を食べ思いを馳せたのかもしれません。
  
ここから入ります                  最初の道標               次の道標

応桑小近く                     峠の近くの広くなった道路
群馬県長野原町と吾妻町の境

大ブナ
目通り 3.9M 実測値
樹高 15.0M
こちらの方が断然古い。根元にウロが
ある

ブナ
目通り 4.0M 実測値
樹高 15.0M
3本の幹の集計。大ブナすぐ近く

今回の旅で最後に選んだのは「群馬
の巨樹」に掲載の「万騎峠のブナ」で
ある。
志賀高原の見学を終え渋峠、草津温
泉を通って北軽井沢にやって来た。
R146の応桑(おうくわ)から旧道に入
り峠への道を捜す。畑仕事のご婦人が
いたので尋ねると「朝比奈三郎義秀の
墓」の所を入ればよいという。この辺は
昔狩宿といったらしく本陣やその前に
関所跡もあった。
狩宿の集落から先は林道で、2カ所
ほど道標もあり迷うことは無いだろう。
30分ほどで峠に着く。そこに大きな
看板とその後ろにブナは立っていた。
実測すると目通り3.9Mあった。ブナ
というより大ブナといった方がよいだろ
う。姿形も美しい。
看板によれば昔の街道で、大ブナの
脇にその古道らしき道が窪んで微かに
残っていたが今は全く歩くことはできな
いだろう。

2010,7,8撮影

アクセス
須賀尾方面崩落で通行止め。応桑か
ら入るように。

高部のからかさ松(茅野市) 極く軽いハイキング

東側より撮す 枝が枝垂れていて一番傘形に見える

西側より撮す 季節により、角度により姿形がいろいろに見えるようだ

左女松(裏で見えないが樹脂でウロを補修してある) 右男松                          意外と場所が分かりにくかった

説明文です
  
道標です
 
林道の感じです                       諏訪御柱祭り(4/2,3、4か)に使われる柱?
                                が2本置いてあった。材はカラマツでした。

オオハンゴンソウ 木橋の所に群生していました
明治中期、北米原産の帰化植物
やや寒冷な気候を好むようです

ツルキツネノボタン 林道に生えていました

茅野市宮川高部

アカマツ
幹周囲 6.1M 地上70pの分岐で
樹高 14.0M
樹齢 350年前後
S47,12,26市指定天然記念物
標高は約975M

平ちゃんのHP山岳巡礼に載っている
塩尻市東方の高ボッチ鉢伏山に登り、
更に茅野市の姿形の美しい「からかさ
松」を見ようと、夜立ちの強行軍でやっ
て来た。
天気予報では長野は曇り時々雨であ
ったが北に進めば進むほどよいように
感じたので無理を承知で決行した。
朝5時頃には塩尻市につき塩尻峠先よ
り高ボッチ山を目指す。林道はカラマ
ツの植林帯で、雨は降っていなかった
が標高が上がるにつれて霧が出てきて
石碑に着いた時には視界が50Mほど
であった。仕方ないので牧場の周りの
遊歩道のお花畑で何枚かの花の写真
を撮る。車でひと寝入りして回復を待っ
たがとうとう霧は晴れなかった。奥の鉢
伏山も同じ状況と判断して諦め下山す
る。天気がよければ「日本の中心」とい
うか富士山から山梨・長野の山一望で
あったが残念であった。山を下ると青空
が出ていて暑い位だ。
次ぎに茅野市の「からかさ松」に向かう。
参考にした渡辺典博著「巨樹・巨木」で
はR152の杖突峠への途中から林道に
はいるように読んでしまい道に迷ってし
まった。付近の人に聞いたらどうも旧道
で杖突峠に行く道があることが分かった。
引き返し橋のたもとに道標が見つかった
ので再度目指す。
木橋は傷んでいてここに車を止め林道
を歩き始める。渡辺氏が見た1995年に
はこの橋は車で渡れたようだ。カラマツ
が植林された道を20分ほど進むと大き
な鉄塔がありその先の拓けた所に「から
かさ松」は立っていた。来る前の想像と
違って意外と山中にあるのは驚いた。
期待通りの大きさと姿の美しい松であっ
た。木の周りには一面ワラビが生えてい
た。ただ渡辺氏の写真ではここから茅
野市や周囲の山々などが写っていて見
晴らしがよかったが、15年の歳月で周り
の木がすっかり大きくなってしまい眺望
はなくなってしまったのが残念であった。

2010,8,10撮影

アクセス
高ボッチはR20の立体歩道橋のある入
口から40分ほどである。
「からかさ松」は高部の橋のたもとの交
差点から車で15分。そこから歩いて20
分。

高ボッチ山で咲いていた花々 今少しずつ野の花の名を覚え中
 
シシウド 沢山咲いていました                 ノアザミ
 
マルバタケブキ 沢山咲いていました 右の丸いのは蕾でしょうか?
 
ヒヨドリバナ 沢山咲いていました                メマツヨイグサ
明治後期に渡来、戦後急速に分布を広げる
近縁にオオマツヨイグサがある
 
ツリガネニンジン 沢山咲いていました       タチフウロ?(ハクサンフウロやアサマフウロではないようだ)
  
タチギボウシ?                           中ヤマハハコ?                        シナノナデシコ
   (コバギボウシやオオバギボウシではないように感じる)                                  (タカネナデシコやカワラナデシコではないようだ)

天気がよければ富士山もよく見えるようです
この碑の後ろに木柵がありその中に遊歩道が付いています

青木の観音のモミ(南佐久郡川上村)
南佐久郡川上村
青木の観音

モミ
目通り 4.0M
樹高 10.0M 表示よりは低いようだ
S47,3,3村指定天然記念物

川上村にある山梨県との境の「信州峠」
とは一体どんな所だろうかと思いやって
来た。
1月に住吉神社に来た時は畑にはうっす
らと雪が積もっていたが、清里、野辺山を
通り来てみると付近一面は高原野菜の
栽培地であった。
村の峠への分岐にある大きな案内看板
を見ると、ここはレタスでは日本一の産
地と書いてある。レタス以外にもいろいろ
な野菜が栽培されているようだ。畑には
見慣れない大きな機械が置いてある。ま
た全国の市場やスーパーに運ぶのであ
ろうか?大型トラックが並んだ運送会社
が目立つ。
兎に角この村は元気がよい。畑で収穫
している人の姿も目に付く。以前知った
ことだが川上村の村長は全国村長会
の会長に今年就任されたとか。この活
況を背景に、宜なるかなという感がした。
ところでこのモミは峠に行く途中最後の
農家がある路端に立っていた。幹がゴツ
ゴツしている。樹勢は少し弱り加減かもし
れない。そばに石の観音さんが数体安
置されていた。
この先道はカラマツが植林された谷沿い
を進む。そして「信州峠」は知らない間
に通り過ぎてしまったらしい。というのは
山梨県に入り畑で農作業の方にきいた
ら通ってきた小高いあそこがそうだという
ことであった。私は響きのよい「信州峠」
という名に惹かれたのだがどうも何の変
哲のない峠であった。

2010,9,14撮影

アクセス
木までは分岐の看板から15分ほどの所
である。

茶臼山のブナ混合林(豊根村) 極く軽いハイキング
 
登山道のブナ1                   スキー場脇のブナ2

ブナ混合林(手前左と右端に細いがブナが見える)       
   
                 モミ(ブナ1下)

駐車場からの茶臼山(左の尾根を登る)

茶臼山高原スキー場のリフトとブナ2。背景左茶臼山、右遠方恵那山
  
左ブナ看板                   中カラマツ                 右多分ツガ(モミ下)
  
左ウリハダカエデ                     中カマツカ               右駐車場から見るブナ2(望遠で撮す)
  
左山頂手前は灌木林、下にクマザサ              中山頂展望台                     右山頂標識        

駐車場の案内図(現在地から左の尾根を登ったが、他に何本かの道があるようだ)
愛知県北設楽郡豊根村
茶臼山1415M
(長野県との県境でもある)

ブナ1
目通り 2.5M
樹高 15.0M

ブナ2
目通り 1.6M
樹高 10.0M

内々のことで恐縮だが、家内がどうして
も阿智村の小黒川のミズナラ(日本で
最大で唯一の国天然記念物)を見てお
きたいというので、一泊で奥三河と南信
の樹木の旅を計画した。
ミズナラの前に茶臼山登山(愛知県最
高峰)、根羽村の月瀬の大杉(長野県
最大の樹木、同じく国指定)、上矢作の
大船神社の松並木(昭文社県別マッ
プル23愛知県P65に載っている)を私
の希望で併せて見ることにした。
私のHPは静岡県と山梨県を主たる見
学地と定めているのでこの地域は対象
外で「おまけ」の地域である。
また私にとってはこの地域は生まれて
2度目の旅である。それは今から25か
30年前、長野県から帰る途中伊那を通
って佐久間に抜けようとした時、佐久間
に抜ける途中夜になって方向を失い道
に迷い、しかもガス欠寸前になって地元
の人に助けられてやっと帰宅したという
苦い経験を持っている。
いずれにしてもこの地域は静岡市から
はアプローチが大変だ。今回選んだの
は東名で豊川インター、R151で新城市、
その後R32、R10、R473,R257、R1
0、R507で茶臼山にやって来た。朝8
時に家を出て高原の駐車場に着いたの
は1時頃であった。
茶臼山は平ちゃんの山岳巡礼で予備知
識を付けておいた。スキー場があること、
山頂までは30分位であること。駐車場に
車を止め道標に従って歩き始める。山頂
は手に取るように見える。最初は公園と
いうか牧場というかなだらかな尾根を登る。
途中から灌木から樹林帯に変わる。
驚いたのはこの樹林がブナ優勢で、カラ
マツ、ウリハダカエデ、モミ、ツガ、オオイ
タヤメイゲツ、カマツカ、イロハカエダ、ミ
ズナラなどの混合林であった。最大のブ
ナ1は決して大木ではないが頂上のやや
手前で一抱えをかなり余して横に大きく枝
をはっている。来る途中の車道ではまだ
紅葉の綺麗な所もあったが、この付近は
全て落葉していた。
樹林は今は山頂一帯に限られているが牧
場開拓以前は全体がこんな森であったの
かもしれない。歩きやすい道で、樹種の看
板も所どころに付いており確認しながら登
る。山頂は木の展望台があり正面にスキー
場のリフトがはっきり見える。展望台から少
し北に行けば恵那山も見えたかもしれない。
山を下りスキー場の方を見るとリフトの近く
に何やら1本大きな木が立っている。ブナ
かミズナラか?鍵が掛かっていなかったの
で進入禁止の看板を無視してスキー場に
入る。5分ほどでリフトの脇に車を止め木
を見るとブナ2であった。しかし入口に戻る
と鍵は閉まっていた。すぐ側に管理の人が
いたので謝って鍵を開けてもらう羽目にな
ってしまった。くれぐれもこんなことをしない
ようにご注意を。
このスキー場は2人乗りリフトが2基500M
ほどありゲレンデも広かった。初心者からや
や上の経験者まで、また家族連れも思った
よりも結構楽しめそうだと感じがした。恵那
山が見えたりして何しろ景色がよいのが何
よりだろう。もう少し若ければ一度位は来て
みたかったと悔やまれる。

2010,11,17撮影

 

四代目月の家円鏡は茶臼山北の売木村の出身だそうだ
売木峠へ行く途中の大きな看板
(こういう看板いいですね。親近感を感じます)

月瀬の大杉(根羽村)
 

                                                         懐かしい人の名が・・・。スギのすぐ側にありました
 
信玄塚と信玄の宝篋印塔                 砦のイチイ(根羽村文化財) 目通り3.0M 樹高10.0M
R153に大きな標識がある                                     R153脇、偶然見付ける
※宝篋印塔は聞き慣れない言葉であるが広辞苑では                                   ・
   それと想像するに看板には書かれていなかったが下の1段か2段失われているのでは?              ・ 

平谷村に行く途中偶然見付けました                        

信玄は三河野田城攻略中に病にかかり甲斐に帰る途中1573年この地(根羽村横旗)で
53才で亡くなった。その後武田は勝頼の時代になり1575年長篠の戦いで負け
急速に勢力を失い信長連合軍に天目山で敗れて幕を閉じた。
没後100年でこの宝篋印塔が建てられたと書いてある。
長野県下伊那郡根羽村

スギ
1944,11国指定天然記念物
目通り 14.0M
樹高 40.0M
樹齢 1800年

長野県で最大の巨木でスギとしては
全国6位、しかも屋久島の縄文杉にも
匹敵するスギがこの月瀬の大杉です。
西暦200年頃この辺に人は住んでい
たのかいなかったのか?少なくても神
社はなかったはずで、すると自生のス
ギということになるのだが・・どうだろう?
時代からして後から移り住んだ人達が
大杉のあるところに神社を建てた可能
性が大だろう。また見方によっては2本
のスギの合着の様にも見える。その辺
の解説はない。
いずれにしてもこの木について私がこ
れ以上説明する必要はないでしょう。
看板にもありますが、渡辺典博著「巨
樹・巨木」の一節を引用して終わりとし
ます。
「月瀬神社の御神木として、古くから
大切にされてきた大杉だが、ほかの多
くの巨木と同じように伐採の危機が何
度かあった。1844年に焼失した江戸
城本丸の再建に要求されたこともある
という。明治時代村内神社統合の際に
は大杉が売却されることになったが、
月瀬地区の人達は無尽講をつくり、長
年に渡り積み立てて大杉を救う費用を
つくったという。・・・・何と幸福な木なの
だろう」

2010,11,17撮影







大船神社の松並木(恵那市)
おおぶね
 
マツ1                            マツ2
 
マツ3(4本の一番奥。ここの間隔は狭い)                       参道と松並木
  
通行止めで神社までは車で行けない                      松並木入口
 本郷
本郷の林道入口に立っている天然記念物のエドヒガン

天然水「福寿の清水」(達原渓谷)
岐阜県恵那市上矢作
大船神社

松並木 アカマツ
見た範囲で50本位ありました
以下3本が太かった
マツ1
目通り 3.2M 実測値
樹高 15.0M
盆栽風、初っぱなにある

マツ2
目通り 4.0M
樹高 20.0M
枝振りがよい、最大か?

マツ3
目通り 4.0M
樹高 20.0M
スラッとしている

2日目、R101は工事で通行止めの
ため平谷村経由で上矢作に入る。
平谷渓谷は最初は道幅も広いが進
むにつれてかなり狭い。昔の何かの
街道だったのかもしれない。途中に
「福寿の清水」で喉を潤し、真っ盛り
の紅葉を楽しみながらのドライブだ。
上矢作に来て大船神社の所在が分
からないので、JAの所から少し北に
進む。どこかに人はいないかと捜し
ながら行くと本郷というところに洗濯
物を干しているご婦人がいたので尋
ねることにした。
丁度この家の横から沢沿いに道があ
り神社に行けるが生憎通行止めで車
では行けないという。こんな遠くまで
来てさて困ったなと思ったが、松並
木を見に来たといったら、通行止の
とこかろら右に舗装のしていない道が
ありしばらく行くと松並木の所にでると
教えてくれほっとする。またこの家の
前には天然記念物のエドヒガンが立っ
ていた。

松並木は来る前は平らな道の両脇に
整然と立っているのではないかと想像
したが、来てみると尾根に付いた山道
でその両側にある意味では雑然と立っ
ていた。樹種はアカマツでそれもかな
り大きいものが多い。これには驚いたと
いうか、地図に載っている位だから何か
あるだろうとは想像したがこれほどとは
思わなかった。しかも往時の半分以下
位の本数になってしまっているのかもし
れないがこれだけ見応えがある。。来
てみなければ分からないし来て本当に
よかったと感じた。
アカマツの成長は分からないがこの大
きさになると150年から200年位は経っ
ているのではと考える。神社の由来も由
緒も全く知らないが※、1800年頃この
神社は一帯で大きな信仰を集めていて、
参拝の人の拠り所の1つとして参道にマ
ツを植えたのではないかと想像する。下
のJAに向かう道にも並木があるようなの
で時間のある方は併せて歩くのもよいだ
ろう。
今回は下調べもせずただ地図を見ただ
けでやって来たがこんな拾いものをして
こういうことが面白いし素晴らしい。(人の
出会いや木の出会いまた何か他の出会
いでも感動を受けることは1つのドラマと
思う。それは偶然というものが大きい様な
気がする)


2010,11.、18撮影

※その後「人里の巨木たち」に大船神
社の弁慶杉が載っていて、そこに神社
の由緒が書かれていたので興味ある方
はご覧下さい。またこのことから察すれ
ば、この並木は寺院当時の並木だった
ことになり、想像の上記記載を変更しな
ければならないだろう。(11/21記)

小黒川のミズナラ(阿智村)

                

木の近くは小公園で四阿屋がある 

林道入口の道標
下伊那郡阿智村
小黒川地内

大ミズナラ
H8,9,4国指定天然記念物
目通り 7.4M
樹高 33.0M
樹齢 300年以上

R153を使い平谷村から阿智村にやっ
て来た。距離は思ったより結構あった。
途中には平谷高原スキー場、治部坂
高原スキー場と聞いたことのないスキ
ー場が2つありゴルフ場もいくつかあっ
た。この道は飯田に抜けるようだが高
速道路のように広くてよい。
昼神温泉を通り更に進むと「一番清水
」という天然水がある。ポリタンクを持っ
た人が何人かいた。
清内路中を過ぎたところにミズナラの
道標があり川沿いの細い林道を15分
ほど行ったところに拓けた空間があり
そこにミズナラは立っていた。
今日は天気はよかったのだが、上空
に雪雲が流れていて小雪が降ってき
た。高度計を見ると1030Mを指してい
た。もうこの辺はすっかり冬だ。
すっかり落葉して素顔というか骨だけに
なった日本一のミズナラを見てその堂
々とした大きさ、端正な姿、力強さ、30
0年の風雪に耐えた命の尊さというよう
なものがひしひしと伝わってくる。これ
ぞ「日本の巨樹の原点」ともいえるだろ
う。
欲を言えば10月下旬か11月初旬真っ
赤な紅葉のミズナラが見たかった。もう
一度来る機会があればそんな”化粧”
をしたミズナラも見てみたい。

2010,11,18撮影



ミズナラの落ち葉です

穴沢弾正塚の一本松(上田市) 

道路下正面からのマツ
 
横の方が太い                       正面に宝篋印塔が立つ
 
木の斜め下の家が半田さん方らしい。 2003年に600遠忌が行われたのだろうか
JA上の実相院にも宝篋印塔があることを後で知った。近くなのでこちらも見たかった
 
上田市真田町傍陽(そえひ)
穴沢 弾正塚

アカマツ 上田市指定天然記念物
目通り 4.5M 実測値
樹高 20.0M
看板の4.25M、「人里の・・」4.4
Mより太くなっている

11月根羽村の信玄塚でみてから興
味いだき、その後「人里の巨木たち
」に上田市真田町の穴沢弾正塚の
一本松に宝篋印塔が同じく立ってい
るのが分かり、木の見学と併せて見
に来た。
祝日で高速料金が1000円なのを利
用して中央道、長野道、上信越道
で真田町にやって来た。自宅から約
4時間だ。しかし傍陽に来て穴沢を
聞くも分からない。親切にも福祉施設
の方が調べてくれて地図まで書いて
くれやっと分かった。三島平の手前
だ。
穴沢では山の方に向かって道路が
付いていたので多分と目星を付け
て300M程上ったら大きなマツが見
えてきた。道路脇の狭いスペース
に車を止める。
アカマツとしても立派な木だ。私が
今まで見た単幹の中では一番太い。
傷みもなく樹勢も大勢だ。植栽だろ
うが近くの山を見るとアカマツの自然
林が結構ある。土や気温などがマツ
に適しているのだろう。このことから「
人里」氏も樹齢600年に疑問を抱い
たようだ。宝篋印塔ができた時植え
られたとするのはチョット無理がある
だろう。今のは200〜300年後に植
栽された可能性が大だろう。(初代
が枯れた後に2代目が植えられた
可能性もある)
宝篋印塔にすれば信玄塚のものと
かなり形が違う。それと信玄塚のも
のは風化が進んでいる。
それと傍らに「半田弾正信久600
遠忌」の石碑も建っている。宝篋印
塔の主は半田氏なのだろうか?応
永10年の銘はあるが、半田弾正信
久の銘はないようだ。
疑問が湧いてきて真田町に問い合
わせをした。教育事務所の女性が「
真田町誌」を紐解いてくれたが「半
田氏」の人となりについては記載が
ないという。ただ半田氏は滋野氏を
祖先にもつ一族で、この地に住み
マツも側の半田さんの所有物の様
だ。1400年頃といえば真田氏がこ
の地を支配する以前のことであろう。
電話でこうはっきりしないことを聞く
のは難しいことだ。
この後は私の推測であるが、側の半
田さんの家系図に半田弾正信久の
記載があって、時代も合うことから、
弾正塚と伝承された宝篋印塔が半
田弾正信久と同一とされるに至った
のだろう。いずれにしてもこの地の
有力者、豪族、上級武士のいずれ
かであったのだろう。
私は更に興味を覚えて静岡県に宝
篋印塔があるのか県教育委員会に
聞いてみた。詳しいK氏より電話を
頂き宝篋印塔は2つのピークがあり
1400年頃の室町時代と1600年代
初め徳川時代初期に大名などに墓
碑としてブーム(1つのファッション)
があったそうだ。静岡市近辺の数ヶ
所を教えてもらったので近々見学に
訪れたいと思っている。まとまれば本
HPで紹介するつもりだ(静岡県の宝
篋印塔)。

2011,1,10撮影

アクセス
豪雪地帯ではないので積雪は多く
ありませんが、降雪の後などはチェ
ーンが必要となるかもしれません。

熊倉峰のミズナラ林(佐久市) 極く軽いハイキング
くまくらほう
 
標識の奥の2番目に太いミズナラ            頂上近く二股のミズナラ、これが一番太かった
 
峠近くのモミ植林帯に道は付いている、太さ10〜20p                      頂上近くのミズナラ林

モミ林上のミズナラ林 クリもかなり混じっていましたが落葉中は区別が付きにくい
下はミヤコザサで標高も十分で典型的なブナ林の環境だがブナはなかった

好展望台より荒波に漂う航空母艦−荒船山−  左船尾の艫岩(ともいわ、1297M、高低差200M)、右舳先(へさき)の経塚山(きょうずかやま、1423M)
右端別の山で兜岩山(1368M)、その左の尖りが御岳。

積雪の内山峠 左駐車場 佐久方面を望む

同 群馬県側


峠の道標
 
峠への林道から見る自然林に覆われた熊倉峰(左)
佐久市内山
熊倉峰

ミズナラ林
目通り 2.0M 最大
樹高 15.0M

お断りしておきますが当HPに載せ
る太さではありませんが旅の記念に
載せることにしました。
愛読の「山岳巡礼」に群馬県との
県境の熊倉峰にミズナラの大木が
あるとの記載があったので真田町
の見学の後やって来た。
佐久市の滑津(なめつ)」というところ
から下仁田行きのR254にはいる。
40年前前橋に住んでいた頃下仁田
は遠くすごい田舎ではと思っていた

が、来てみるとこの道は大型車が頻
繁に通る立派な幹線で驚いた。
内山トンネルの手前から林道に入る。
雪が積もっていたので念のためチェ
ーンを巻く。10分ほどで峠に着く。
駐車場に車を止めて道標の所から
歩き始める。
平ちゃんの記載通り珍しいモミの植
林帯だ。成長したら材は何に使うの
だろうか。雪が道に僅かに積もって
いるが登山には支障がない。長靴も
用意したが使う必要はなかった。
10分ほどで植林帯を抜け尾根に出
たところが向かえの荒船山の好展
望地であった。軍艦の様なタンカー
の様な山様が珍しい。更に進むとや

はり記載のようにミズナラ林となった。
しかし”大木”と書いてあったがどうも
そこまでのものはなさそうだ。天気は
いいが非常に寒い。氷点下5〜10
度位ではなかろうか。指が悴んでうま
くシャッターが切れなかった。山頂は
語呂合わせのように1234Mの手製
の道標が風に揺られていた。早々に
山頂を後にして来た道を戻った。

2011,1,10撮影

アクセス
登り30分程度のごく軽いハイキング。
日陰には雪があるのでチェーンの用
意を。

成川美術館の大王杉(箱根町)

円形の筒はエスカレーターです
神奈川県箱根町元箱根
成川美術館

スギ 大王杉
目通り 5.0M
樹高 25.0M

「曾我兄弟と虎御前」関連で箱根
神社にやって来た。
途中成川美術館の所で車を止める
と入口奥に大きな木が見えたので
見学をさせてもらった。
近づくと大きなスギで姿形がスギとし
ては横に枝を広げややシダレ気味
で美しい。
木の前に看板があり、樹齢3000年
とか・・・、少々オーバーと思うが500
年位は経っているのかもしれない。
確かに箱根の杉並木よりはやや古い
だろう。

2011,2,24撮影

アクセス
芦ノ湖河畔
成川美術館は日本画の好きな人は
知っているのかもしれないが、平山
郁夫他が公開されているようだ。

城前寺のムクノキ(小田原市)
 
小田原市曽我谷津
城前寺

ムクノキ 左
目通り 4.0M
樹高 15.0M

同・右                ・
目通り 3.5M
樹高 15.0M


「曾我兄弟と虎御前」の関係で
やって来た。
寺の墓地の境に大きな木があった。
最初種は分からなかったが、落ち葉
で確認。
自然に生えたものであろうが、大小
4本並んで立っていた。

2011,3,3撮影

アクセス
城前寺は曾我兄弟が母の再婚と共
に来た曽我城主曽我祐信の菩提寺
で兄弟の供養塔も建っている。
JR下曽我駅近く。

(2)(3)(4)(5)(6)(7)(8)HOME